瑠駆真は直接父親へ連絡を取るつもりはない。
ふん、何がお父上様だ。くだらない。
教頭は忙しい? 嘘だろう? 今日だって、ちゃんと駅舎には監視に来てたぞ。
ああやって美鶴を退学に処する材料が無いか、虎視眈々と狙っている。一方で僕には特別学級の設置だって? 冗談じゃない。なんて学校だ。
唐渓を転入先として探してきたのはメリエムだ。彼女以外にも数人は動いただろうが、選んだのはメリエムと父親を自称する中東の男性。
あの二人が選んだんだ。異常でも当たり前か。
中学時代の顔馴染みが暮らす地域へは戻りたくない。だがたとえ日本国内であっても、まったく知らない土地での暮らしには怯懦な態度を示す。そんな瑠駆真のために適した高校はないものかと慣れぬ土地の情報をかき集めて唐渓高校を見つけてきたメリエムの苦労など、瑠駆真にはまったく伝わっていない。
よくもまあ、こんな学校を見つけてきたものだよ。
だが、彼らが選んだ学校へ転入したおかげで、美鶴と再会できた。
そんなもの偶然だ。
思わず叫びそうになる。
そんなものは、偶然だ。
真夜中の自室。空調がほどよい室温を管理している。
まぁ、そんな事は今はどうでもいい。
興奮しそうになる己をなんとか落ち着け、深呼吸する。
お父上様になんて、わざわざ電話する必要もない。誰が好き好んで奴の声を聞こうなどと思う。メリエムにでも伝えておけばいいさ。
十月か十一月には日本に来ると言っていたメリエムという黒人女性。だが、調整がうまくいかないようで、十二月に入ってもまだ姿は見せていない。
このまま永遠に来なくてもかまわないさ。
立ち上がり、窓辺へ寄る。自室から見上げる空は少し曇り気味。
美鶴、君はどうするつもりだろう? どんな進路を目指すんだ?
願うなら、同じ道を進みたい。
瑠駆真には希望の進路などない。望む道は、美鶴と共に歩む道。
父親は、いずれラテフィルへ来いと言うだろう。アメリカでも言われていた。
行くのなら、その時は美鶴も一緒だ。
幸せにしてあげるから一緒においで。
そう誘ったのに、美鶴は承諾してはくれなかった。
美鶴が行かないのなら、僕も行かない。
カーテンを握りしめる。
僕の進路は、美鶴の進路だ。
ホットレモネードが唇に熱い。近づけては離し、だが再び接近を試みる。そんな仕草を数度繰り返し、ようやく一口を啜った。
そんな少女に、綾子が笑う。
「美鶴ちゃん、変わらないわね」
なんだか子供扱いされたようで癪だが、綾子には適わない。
岐阜の綾子の店。まだ開店前なので二人以外は誰もいない。
前回と違い、今回は事前に連絡を入れた。綾子の自宅や携帯の番号などは知らないので、店の番号を電話帳で調べて連絡した。
綾子は美鶴の連絡に躊躇ったが、最終的には会う事を承諾してくれた。
「すみません。また押しかけちゃって」
「いいのよ。それよりも、詩織ちゃんとは仲直りしたの?」
「はぁ、まぁ」
仲直りと言うか、そもそも美鶴が一方的に腹を立てていただけのように思う。それを母の詩織は飄々と聞き流し、その態度にまた美鶴が腹を立てる。そして勝手に蟠りを作り、会いたくないなどとイジイジ考え込んでいたのだが、相手の方はさっぱり気にもしていないようだった。
自分の過去を知られてしまった事など何でもないというかのように、母はいつもと変わらない。うやむやなまま、再びいつもの生活に戻っている。
「相変わらずですよ」
美鶴の言葉に、綾子は今度は困ったように、だが少し安堵したように笑った。
「そう」
短く答え、美鶴の横に座る。手には水割り。
「だったら、やっぱり詩織ちゃんへ直接聞くべきじゃないかしら?」
それは昨日の電話でも言われた。正直、美鶴もそれが正論だとは思う。
だが、できないだろうと断言する自分がいる。
「じゃあ、綾子ママだったら、聞けますか?」
答えるかわりに聞き返し、綾子は視線を落とした。
詩織の過去に何があったのか? 中卒だと娘には告げていた母が、実は高校中退だった。真面目な学生だった母が、学校を辞めて、美鶴を産んだ。なぜ?
好きでもない、誰の子かもわからない子供を、なぜ産んだのか? 学校を辞めてまで。未来を変えてまで。
なぜ?
何があったのか? 母の高校生活とはどのようなものだったのか?
「詩織ちゃんはね、ちゃんとした真面目な学生さんだったの」
まったく想像のできない母親の学生生活が、今の美鶴にはとても気になった。
「私、学校で進路相談を受けたんですけど、正直自分の進路って、よくわからないんです。大学進学を言われたんですけど、大学ってモノ自体、よくわからないし」
そこで美鶴は少し身を乗り出す。
「母は、高校をちゃんと卒業したら、どうするつもりだったんでしょうか?」
「詩織ちゃんに聞いた?」
「ママが私の立場だったら、聞けますか?」
強姦され、高校を中退した人間に、本当はどうするつもりだったのかと、聞けるか?
綾子はため息をつく。
「聞けない、かもしれないわね」
「だったら教えてください。知ってる範囲でいいんです」
「でも、詩織ちゃん自身の事だからね。他人の事をあれこれベラベラと話すのは、あまり好きじゃないわ」
「少しでもいいんです」
「でも私、詩織ちゃんの夢とか進路なんて本当に何も知らないし」
「知ってる範囲でいいんです」
「でも、本当に何も知らないから教えようがないわ」
「じゃあ、どうして私が産まれたのかだけでも」
美鶴は引かない。綾子はため息を吐く。
「あまり詳しくも知らないし」
「かまいません」
このようにして食い下がる人間を、美鶴はもう一人知っている。
滋賀で智論に身を乗り出していたツバサ。結局は望んだような情報は得られなかったが、それでも彼女は満足していた。
自分も、母の過去を少しでも知れば、少し頭の中が整理できるかもしれない。
整理?
そこで自嘲する。
ホント、私の頭の中って、グチャグチャだもんね。
レモネードを啜る美鶴に、綾子が笑った。そうしてこちらは水割りをコクリと飲み込み、少しだけ視線を遠くへ飛ばした。
「でも、どこから話せばいいのかしら? やっぱりあそこからになってしまうのかしらね」
店の壁を見ているのに、視線はもっと遥か遠く。
「確か詩織ちゃんも高校二年生だったはず。塾の帰りだったと聞いているわ。上級生の女子の先輩と二人だった」
柚賀詩織は、埼玉県内でも有名な進学校へ通っていた。
同じ塾に通う二人は、迎えの車を待っていた。
質問をしているうちに時間が経ってしまい、最終のバスを逃してしまった。仕方なく親に迎えを頼もうと公衆電話へ足を向けた。そんな詩織に、一つ年上の少女が声をかけてきた。当時は携帯電話など無かった。
同じ学校の先輩は、父親が向かえに来るから一緒に帰ろうと誘ってくれた。詩織は一度は断ったが、最終的には甘える事にした。そうして二人で、迎えを待っていた。
最初に声を掛けられたのは先輩の方だった。胡散臭そうな相手に警戒しながら、それでもしつこい相手に少女は仕方なく答えた。
「駅はこの道を曲がって」
伸ばした手を一瞬にして鷲掴みにされた。声をあげる前に抱すくめられた。驚いて目を見張る詩織は背後から押さえ込まれた。そのまま路地へ引きずり込まれた。
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